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東方神起の歴史

東方神起~結成から現在に至るまで

2003年に韓国大手芸能事務所のSMエンターテインメントからジュンス、ユンホ、チャンミン、ジェジュン、ユチョンの5人が選抜されて結成したグループ。中国本格進出を見据え中国風の漢字4文字のグループ名と芸名が与えられた。2003年12月26日にSBSの特別番組で結成披露が行われ、2004年1月14日にシングル「Hug」でCDデビューを果たした。デビューにあたり総額80億ウォンに上る多額の投資がなされた。しかし当時の韓国歌謡界は1990年代後半から続いていた第1次アイドルブームが下火となっており、ソロ歌手が全盛を極めていたため、デビュー当初は活躍できる余地はないとの考えが大勢を占めた。しかし、デビュー曲は「SBS人気歌謡」のミュティズンソングに3週連続で選ばれ、2004年末の主要音楽賞でも本賞や歌手賞を受賞するなど予想を覆す活躍で、瞬く間に韓国のトップグループへと伸し上がった彼らの成功が与えた影響は多大であり、他のアイドルグループの結成を促す効果をもたらして、後の韓国アイドル界再興の道筋を開いた。

2004年3月に台湾でファーストシングルのライセンス盤を発売した。それを皮切りに海外進出を開始させ、2004年11月にはグループ結成時からの目標であった中国進出の手始めとして、現地で中国限定の中国人メンバーを選抜するためのオーディション番組を製作することを発表した。それと同時期に40億ウォンを投じて日本での活動もスタートさせ、翌2005年4月にはSMエンターテインメントの提携先であるエイベックスのレーベル「rhythm zone」から日本語曲で正式に日本デビューを果たした。日本ではアイドル色を薄めてアーティスト色を強めたイメージで売り出し、またJ-POP歌手として継続的に活動するため、当時日本でブームとなっていた韓流からは距離を置いて活動をした。

日本でのデビュー後、2005年9月に韓国でセカンドアルバム『RISING SUN』を発表し、同月に蚕室総合運動場主競技場で5万人以上の観客を集めるショーケース・ライブを開催した。その後、翌2006年2月にはソウル・オリンピック公園体操競技場でグループ初となる単独公演、同年5月から6月には日本で初めてとなるライブツアー、翌7月と9月にはマレーシアとタイで「ライジング・サン・ファースト・アジア・ツアー」と題した韓国国外では初となる大規模公演を成功させた。タイ公演を終えると、すぐに韓国で3集「“0”-正・反・合」を発表。プロモーション中にユンホがファンを装った女から接着剤が入った飲料水を飲まされるという災難に見舞われたものの、同アルバムは年間1位となる30万枚超の売上を記録して、同年のゴールデンディスク賞で大賞を受賞した。

その間、中国への本格進出はメンバーの追加が先延ばしになるなど事実上頓挫していたが、日本での活動は不祥事でジェジュン一時活動を自粛するハプニングがあったものの継続的に進められていた。しかし、歌える環境が整っていないステージに立たされるなど、デビュー後すぐにトップスターとなった韓国では経験してこなかった歌手としての地道な活動の連続に、メンバーらは戸惑いや苦々しさを感じていた。それでも、「とにかく日本で実績を残してから韓国に帰らなければ」との思いを抱きながら、その後も活動を進めた結果、徐々に知名度や人気が高まり2007年6月には日本武道館での2日連続公演を成功させ翌2008年1月にはシングル「Purple Line」で初めてオリコンチャートの1位を獲得するなどの成果を収めるようになっていった。

そして、自身初の日本でのアリーナツアーと前年からソウル、台湾、マレーシア、タイ、中国で断続的に行われていた2度目のアジアツアーを同年6月までに終えると、3か月後の9月には日本での成功を引っ提げて、韓国でのオリジナル・アルバムとしては2年ぶりとなる4集『MIROTIC』を発表し、史上初となるソウル広場でのショーケース・ライブをもって韓国への本格復帰を果たした。かなりのブランクがあったことから復帰前はメンバー間に不安が広がっていたが[48]、現地のトレンドに合わせるため、これまで東方神起の代名詞となっていた「SMミュージック・パフォーマンス」(SMP) の要素を弱め、より大衆性の強い楽曲で勝負を賭けたことが功を奏してファン層が拡大し、本作4集は市場全体のフィジカル・セールスが落ち込むなか46万枚を売り上げて、自身2度目となるゴールデンディスク賞の大賞を獲得した。ジェジュンは、この成功を「国民的アイドルグループから生まれ変わったようだ」と評した。

日本では、2008年末に自身初となる日本レコード大賞ノミネート(優秀作品賞受賞)とNHK紅白歌合戦出場を果たすと、翌2009年3月には新たにバーニングパブリッシャーズのバックアップを受けてアルバム「The Secret Code」をリリースし、東方神起の作品としては初めて日本レコード協会からプラチナ認定を受けるヒットへと導いた。その余勢を駆って、同年7月には韓国出身歌手としてはピやリュ・シウォンに続き3組目となるデビュー以来の目標であった東京ドーム公演を2日連続で開催し、これを成功させた。

その間、日本以外でも日本での活動の合間を縫って2009年2月からソウル、タイ、中国を巡回するアジアツアーを開始した。このほか、2008年末にジェジュンが主演映画の撮影を行い、翌2009年7月にはユンホやチャンミンも韓国でテレビドラマへの主演が決まるなど、それまであまり見られなかったソロ活動にも本格的に挑戦し始めた。

そんななか、ジュンス、ジェジュン、ユチョンの3人が急激に関係が悪化していたSMからの離脱を図るべく、2009年7月末、専属契約の規定の不当性を訴えて、SMエンターテインメントとの専属契約の効力停止を求める仮処分をソウル中央地方法院に申請することにより東方神起は突如、分裂の危機に立たされた。同裁判所は和解を勧告した。

その後、エイベックスと独自に契約を結んで新ユニット「JUNSU/JEJUNG/YUCHUN」を結成したジュンス、ジェジュン、ユチョンを結成。しかし、3人が2010年9月にエイベックス側から日本での活動休止を言い渡される。翌10月にグループ「JYJ」として正式に韓国での活動を始め、同年11月、ユンホとチャンミンだけで東方神起の活動を再開することを表明した。エイベックスも2人となった東方神起の日本での活動を支援することを明らかにした。そして2011年1月、東方神起は韓国で「SMミュージック・パフォーマンス」(SMP) に回帰した歌をタイトル曲にした5集「Keep Your Head Down」をまた日本で同タイトル曲の日本語版シングルを発表し、新たな活動を開始した。

5人全員が揃った日本での最後の表舞台は2010年1月1日の未明に生放送された「CDTVスペシャル! 年越しプレミアライブ2009→2010」であった。 その4か月後の2010年4月に活動を休止し、直後に結成が発表されたユニット「JUNSU/JEJUNG/YUCHUN」も、同年8月29日に行われた野外ライブツアー「a-nation」東京公演をもって公での活動を終えた。

2011年1月5日に、2人での活動再開の5集アルバムを韓国で発売したのち、1月26日にこの韓国アルバム表題曲の日本語盤シングルを発売し、日本での活動も再開した。



続く...